住み良い世界、への執着
ブッダが語った人間の心についての詳細な分析と
悩み苦しみといった精神活動の諸問題に対する解決アプローチ方法の発見は、
実に偉大な発明であると思わざるを得ない。
その効果を目の当たりにした時、
同時に沸き起こる思いというのは、
世界中でこの強烈に有効性を持った発見が広く見直され共有され始めれば、
もっと世界は平和で住み良くなる、という発想である。
比較論だけで言えば、確かに住み良くなることは間違いのないことだと考える。
人間の心の闇、弱さ、醜さが一掃される方向に向かうからである。
だが、これはこれで執着性の思い込みなのである。
そして、上記のように考えることはあくまで比較論における結論の出し方であり、
平和で住み良いのはいい、という考えは比較上の結論であることに気付かないと、その思い込み描いた執着によって心にねじれが生じることになる。
実際には、生存というものが抱えるそもそもの性質により、生存形式が変わろうとも、比較論的にはマシだと言えたとしても、本質的には虚しいもの(苦)であることから出ているわけではないと言える。
やっぱり、人は死ぬのである。老いて弱りゆくのである。
そこから逃れることはない性質の存在なのである。
生とは所詮、その流れなのである。
そういう通奏低音の上で平和も文明も自己実現もふわりと乗っているだけで、
全ては時に押し流され形を失っていくものどもだ。
そんなことを今日自分の中に生じてきたねじれから、
自らの思い込みを辿って、修正した。