美しいものに対する期待、について
美しいものを好む。
理由は今もよくわからない。
ただ、そこに対する期待が心を美しいものへと不用意に執着させる。
美しいものを求め続ける道なき彷徨へと心を急かす状態を形成している。
実際のところ美しいものを見たとき、
それを美しいと思う、という認識状態が生まれるだけで、
それによって生の構造が変わるなんてことはない。
老い衰え、時に病になり、いずれ死ぬという生の流れは止まらない。
そこにおける苦の構図はそのまんまだ。
美によって人生が良くなる、なんていう考えが生まれるのは
美しいと思うその一瞬の興奮した認識状態の味に
ずっと酔っていられれば幸福だという決めつけが生じた為だ。
酔っ払いにとって酒に酔うことが全てになってしまうように、
この場合は美に酔うことが全てになってしまっている。
だが、その酔いというのも一瞬の認識状態であって覚めてしまう。
だからまた酔いたくなって求める。
その渇愛の輪の中で心は浮き沈みを繰り返すことになる。
短絡的な決めつけや誤った認識が心にもたらす終わりのない渇きを止める方法だ。
美に触れた際に生じる一瞬の認識状態に酔って、生に対する誤った判断をしている思考回路を、冷静な現実の観察によって修正する。
美のもたらすその認識状態が発生したところで、老い衰え死ぬという人生の流れは変わらない。愛するものは移ろい滅びる。美があろうが、別に生の構造そのものが良くなることは無いと冷静に見ていけば見出せるだろう。
これらの視点がこれまでの酩酊した美に対する考え方に修正を加え始めれば、
心は美への執着に支配されなくなる。酔っても仕方ない、ということに気付ける。
渇きは止むことだろう。