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思索雑記

初期仏教、その他日常についての個人的思索、検討結果についての雑記ブログ

まだ嫌なものがどこかにあるはずだ、という思考回路

欲、というのはプラスとマイナスという感じで

2方向にポジションを形成しがちである。

一つ目は、対象への接触を望む欲で、通常使われる意味での欲しがること。

二つ目は、対象に触れないことを望む欲で、拒絶とか怒りとかに代表される破壊欲。

 

で、私としては結構楽しいこと好きで生きてきた為、

何かまだ良いものがあるんじゃないか?という漠然とした思考回路を

呑気に回転させ続けてきた経緯がある。

 

それはしかし、最近問題だなと思われて処理する対象になったので、

その回路の働きはのさばらせていた頃に比べてかなり弱体化したと言える。

が、その逆の働きには思いを馳せていなかった。

つまり、「まだ嫌なものがあるはずだから、それを消さねば!」という思考回路の

働きである。

 

リスクを意識するとか言うけれども、

つまりは恐怖だ。現在、未来に対しての。

そして、それらを排除すれば自分の人生はいい状態でいられるという思い込みがそこにはある。

が、それを達成したとしても、人生が良くなるなんてことは本質的にはない。

人は必ず老い衰え死ぬわけで、その上で小躍りしている状態に違いはない。

その状況を冷静に見れば、拍子抜けの感が個人的には否めない。あなたはどうか?

 

さて、そんなわけで嫌なものをことごとく根絶やしにした方が素晴らしいのだ!

という、暴君思考をその通りだと信じ込んでいる判断回路から何が生じるかと言えば、

それらの発生に対する嫌悪・敵意・警戒・不安感・焦燥感である。

これは現在既にあるものだけではなく、目の前にはない未来のもの隠れているかもしれないものに対しても向けられているので、平穏であるはずの休日ですら何となく落ち着かないなんて状況を生み出す。

 

長いこと感じていた違和感の原因を一つ見つけられた気がする。

よかった。