無知について再考した。
前回は、小難しくまとめ過ぎたなと思った。
改めて定義するなら、気付いていないこと、でいいのだと思う。
だからこそ、現象の観察が無知を破る方法ということになるわけであり、
実際そうであり、
気付くと心が変化する、という関係性が整理できるわけである。
ブッダから学ぶ上で、何が無知で何が智慧かと言えば、
心の働き・状態に関する法則性ということに尽きるだろう。
ここに理解が無ければすなわち無知で、心を制御し切れない。
ここに理解が増せば心を制御出来るようになり、すなわち智慧と呼んでいいだろう。
とりあえず、そんな感じ。